【アメリカ生活で思うこと】Jordan Neelyの件について プロテスト

こんにちは。今年ももう5月ですね。なんとなく毎年5月は五月病なのか少し気分が下がりがちなのですが、今年は今のところ大丈夫そうです。外に出る機会を意図的に増やしているからかもしれません。セロトニン大事。

そんな話をした後に暗いテーマを話すのはどうなのかって感じなんですけど、色々考えることがあったので今ニューヨークでかなり大きくなっているJordan Neelyのプロテストについて書きたいなと思います。

 

この件は日本だとあまり報道されていないのかもしれないんですけど、事の発端は今月1日にNYCの地下鉄の中で、Jordan Neelyという30歳のホームレスだった黒人男性が元海軍の Daniel Pennyという24歳の白人男性に首を絞められ殺された事件です。Neelyは地下鉄車内で他の乗客に対し、攻撃的な態度で「お腹が減った」「喉が渇いた」「刑務所に行くのは構わない」などの発言を繰り返していましたが、実際に危害を加えたりはしていなかったようです。ただこれに対し、Pennyは彼を羽交い締めにし、かなり長い時間首を絞め彼は死に至りました。

Pennyは取り調べを受けたもののすぐに解放され、彼の弁護士は「Neelyが死に至るとは予見していなかった」という声明を出しました。

このことからNYCではPennyの逮捕を求めるプロテストが発生し、一部の人々は地下鉄の線路に降りて占領したりと、かなり大きなものになっています。

Neelyには40回以上もの逮捕歴があり、その中には窃盗から女性を殴るなどの暴行などもあったようです。ただ彼は14歳の時に母親を殺人で亡くしてからトラウマを抱えており、精神的に問題があったのも事実です。

 

というのがこのプロテストのあらましなんですが、私はこの件に関して、社会システムも大きな問題があるんじゃないかなと思いました。アメリカに来てからホームレスの多さにショックを受けたのもありますが、彼が国なり州の金銭的なサポートやメンタルヘルスのしっかりした治療を受けられていたら、この事件は起こらなかったんじゃないかなと考えてしまいます。

たらればの話ばかりするのも良くないですが、本当にアメリカ(特に都市部)は自己責任論が強い風潮があるなと個人的には感じていて、お金と地位がある健康ないわゆる「成功者」にはすごく良い国かもしれませんがそのような成功のルートから外れてしまった人々はそこから這い上がるのがかなり難しい国なんじゃないかなと思います。もちろん資本主義である以上、貧富の格差が出るのは仕方ないことではあると思いますが、あまりにもその格差が広がりすぎているのではないかなと感じることがアメリカに来てから増えました。

一応アメリカにも日本の生活保護のような制度(Supplemental Security Income)は存在するみたいなのですが、受給条件はかなり厳しく、65歳以上や失明している、障がいを持っているなどの条件を満たす必要があるみたいです。(この辺りはあまり詳しくないのでまた調べます)

 

私は大学留学生という立場でアメリカに来たため、こちらでできた友達もほとんどが大学生で、学費の高いアメリカで大学に通わせられるような、ある程度お金がある家で育った子ばかりだったので、大学内にいる時はあまりこのような格差は感じませんでしたが、一歩外に出てみると大学という場所がいかに特殊な場所かを思い知ることになりました。

 

ただ、話は戻りますが電車内で見知らぬ人に攻撃的に声を掛けられるということ自体がかなりの恐怖であり、私も実際アメリカで体験した時は、例えそれが精神的な病気によるものであり、危害を加えられなかったとしてもその場ではそんなことまで頭が回らず、ただただ恐ろしかったのを覚えていますし、車内にいた人がNeelyに恐怖を感じたのは事実だと思います。だからといってPennyの行動が正しかったとは全く思いませんが。

 

精神的に問題があるから、という理由でどこまでのことが許されるのかという問題はかなり線引きが難しく、全てを許すのも、全てを罰するのも間違っていると個人的には思います。ですが、Neelyのように精神に問題を抱えている人々がしっかりと支援を受けられるようにすることは必要だと思います。

 

このような事件が2度と起こらないことを願います。

読んでくださりありがとうございました。